# エディン・シュグラ、イシュタルの王冠

2024年8月、スマートフォン向けゲームFate/Grand Order(以下FGO)にスペースエレシュキガルというキャラクターが実装された。FGOのエレシュキガルはその名の通りシュメール神話の冥界の女神エレシュキガルに着想を得た人気キャラクターで、スペースエレシュキガルは長年待ち望まれたその派生キャラクターである。

スペースエレシュキガルの宝具(詳しくない向きは必殺技のようなものと思ってよい)の終局宇宙に閃く獣冠エディン・シュグラ・コラプサー という。この複雑な名前のうちエディン・シュグラの部分はシュメール語に由来するが、シュメール神話に親しいひとでもエディン・シュグラときいてあああれかとはなかなかならないであろう。これはイナンナの冥界下りに登場する女神イナンナの七つの神宝メーのひとつに由来する。尾崎亨訳[1]でいえば「ステップの王冠シュガルラ」だ。対応する原文の翻字はtug2šu-gur-ra men edin-naで、ePSD2によればeden (opens new window)は"plain, steppe, open country"を、šugura (opens new window)はturbanを意味する。FGOではこの宝冠が女神イシュタルの権能の象徴として扱われていて、すでに登場済みのイシュタルからの派生キャラクター、スペースイシュタルの宝具 原始宇宙に輝く王冠エディン・シュグラ・クエーサー にも見えるほか、派生元のイシュタルやエレシュキガルもそれぞれ「輝ける大王冠」「秘められた大王冠」という名前のスキルを持っている。

エレシュキガルの宝具にイナンナの王冠の名があるのは、イナンナの冥界下りでエレシュキガルがイナンナから七つの神宝を取り上げたことに由来しているらしい[2]。そういえばあれは返していないのか。なるほど。

  1. [シュメール神話集成][(https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480097002/ (opens new window)) 杉 勇 訳 , 尾崎 亨 訳

  2. Fate/Grand Order Material VI (opens new window)のエレシュキガルの項にそのような記載がある。

# 原典を探す旅

# 原文の行番号を探す

さて。そのエディン・シュグラの原典を探したいのである。楔形文字でその名が綴られた粘土板をみてみたいのだ。

つまりイナンナの冥界下りが書かれた粘土板を探してその中のエディン・シュグラにあたる文字を見つけるということになる。

まずはETCSLでシュメール語原文を参照して、エディン・シュグラが登場する行番号を確認しよう。余談だが、"ETCSL inanna's descent"などと検索して出てくるページは旧版で、šやŋの字をcやjの字で補って書かれている。ŠuruppagシュルッパグがCuruppag、ŊirsuギルスがJirsuといった具合である。知っていれば読み替えればいいだが間違いのもとなので、なるべく新版にあたるようにしよう。[3]

ETCSLのトップページからCorpus content by category (opens new window)というボタンをクリックすると各カテゴリごとにUnicode版とAscii版のリンクがあるので、Unicode版を選ぼう。

今回のお目当てはイナンナの冥界下りなので、Inanna and Dumuzi→Inana's descent to the nether worldとリンクを下っていく。原文の翻字が見たいときはtransliteration、英語の翻訳が見たいときはtranslationを選ぼう。

今回はあたりがついているので翻字からみていく。

最初に登場するのはイナンナが冥界に下りる前に七つの宝を身に着けるシーン。17行目である。

ETCSLではtug2を語の一部としてtug2-šu-gur-raとして翻字している。いっぽうePSD2や尾崎訳、FGOではtug2を発音しない限定符とみなしている。tug2は布という意味で、この限定符はシュグラが布製であることを指す。

17行目のほかには冥界の門番ネティがエレシュキガルにイナンナの風体を報告する105行目、イナンナが冥界の門をくぐって身ぐるみはがされる130行目に同じ語があることがわかった。

  1. ちなみに新版が公開されたのは2003年である。どうして検索して旧版しか出てこないかというと、新版の表示にcgiという仕組みが使われていて標示ごとに動的に生成されるので検索エンジンにインデックスされないものと思われる。ETCSLはプロジェクトが2006年に終了していて改修の見込みはおそらくない。つらいね。

# 粘土板の断片を特定する

続いてはこれらの行が記された粘土板の断片を特定する作業である。シュメールの神話は全体が書かれた粘土板がまるごと出土することはまずない。ばらばらに砕かれた粘土板の一部に書かれた断片を比較しつなぎ合わせてつくられたのがETCSLなどに掲載されているComposite Textである。ETCSLの翻字テキストの末尾には参照された粘土板文書のリストが付されているが、その数はイナンナの冥界下りの場合は約40種にもなる。求める行がどの粘土板から採られたものなのかは、論文に当たるほかない。幸いイナンナの冥界下りの場合は、ボバン・デドヴィチによる優れて便利なサーベイ論文 (opens new window)[4]が公開されている。

  1. "Inanna's Descent to the Netherworld": A centennial survey of scholarship, artifacts, and translations Boban Dedović · Seminar Paper · May 22, 2019 DOI: 10.6084/m9.figshare.8941445 (opens new window) · University of Maryland

必要な情報はこの図にある。

この図は行番号とそれが書かれた粘土板番号の対応を表したもので、これを見れば目当ての行がどの粘土板に書かれているかが一目瞭然である。 私たちの目当ては17行目、105行目、130行目である。表と見比べるながら候補となる粘土板を探してみよう。ひときわ長く引かれた青い線、CBS9800+Ni368が目に付く。これは1890年にニップールで発掘された粘土板で、サミュエル・クレーマーが1937年に初めてイナンナの冥界下りの翻訳を試みた際の中心資料であった。ほかにも目的の行が含まれる粘土板はいくつかありそうだ。

デドヴィチの論文には主要な粘土板の写真とハンドコピーが掲載されている。さらにはデドヴィチが運営しているOMNIKAというサイトにも重要な資料が揃っている。実はこのブログを書くまですっかり忘れていてずいぶん回り道をしてしまっていたのだが、読者諸賢に無用な苦労を説明しても仕方がないので省く。

# CBS 12638 + 12702 + 12572 + 12684

https://omnika.org/artifacts/cbs-12638-12684-12702-12572-clay-tablets (opens new window)

例えばこれはCBS 12638 + 12702 + 12572 + 12684という番号の粘土板である。番号が複雑なのは、ばらばらに発掘されて番号付けされたものが、あとで研究者の努力により一枚の粘土板に接合されることがわかったからだ。この粘土板には表面に1-31行目、裏面に 32-48行目が書かれているはずだ。

この粘土板の上から2行分を拡大するとこうなる。

イナンナの冥界下りの冒頭はといえば、有名な

an gal-ta ki gal-še3 ŋeštug2-ga-ni na-an-gub 𒀭𒃲𒋫𒆠𒃲𒂠𒄑𒌆𒉿𒂵𒉌𒈾𒀭𒁺
大きな天から大きな地へ、彼は思いを向けた。

という文が文頭の主語を変えながら三度繰り返されるものだが、見比べてみるとŋeštug2-ga-ni na-an-gub 𒄑𒌆𒉿𒂵𒉌𒈾𒀭𒁺
の部分がはっきり読み取れる。

では問題の17行目はどうか?

目指す一文は tug2-šu-gur-ra men edin-na saĝ-ĝa2-na mu-un-ĝal2 𒌆𒋗𒄥𒊏𒃞𒂔𒈾𒊕𒂷𒈾𒈬𒌦𒅅

というものである。この楔形文字はETCSLの文をもとに楔形文字フォントで再現したものである。実際の粘土板でこれと一致する箇所を探したいのだ。

この15行目がETCSLでいう17行目にあたるのではないかとおもう。 ĝa2 mu𒂷 𒈬gal2𒅅が読み取れる。ほかの文字がいろいろ考えてもあまりぴったり合わないのだけど、テキストの異同なのだろう。いずれにせよここには文の後半しか残っていなさそうで、求めるエディン・シュグラの文字は見つけられそうにない。

# CBS9800+Ni368

次に候補になるのは先ほど挙げたCBS9800+Ni368である。これは非常に大きな断片がのこっていて、私たちの目標が含まれている期待も同じように大きい。

とはいえ、なのである。CBS9800とNi368は、もとは一枚の粘土板であったようなのだけど、今は半分(CBS9800)がアメリカのペンシルバニア大学に、もう半分(Ni368)がイスタンブールに収蔵されている[5]。ニップールの発掘はトルコ政府とペンシルバニア大が費用を折半して実施されていて、発掘の成果も半分ずつということなんだけど、その際ばらばらの粘土板のかけらを分類も解読もしないままに箱詰めして半分ずつ持ち帰ったらしいのである。のちにエドワード・カイエラによってこれらの粘土板が接合することがわかったのだけど、ペンシルバニア大が持っているCBS9800は高解像度でスキャンされてCDLIのアーカイブに入っているのだけど、それと対になるはずのNi368はオンラインのアーカイブに姿が見えない。

  1. OMNIKAにはNi368がペンシルバニア大学に収蔵されていると記載されている。本当だろうか? 少なくとも1923年にカイエラが調査したときはイスタンブール考古学博物館にあったはず。Chiera, E(1924). Sumerian Religious Texts. (opens new window) その後ペンシルバニア大博物館に移蔵されたのだろうか? ペン大のオンラインミュージアムには見つからないし、まだイスタンブールにあるんじゃないのかな。

# NI368

https://omnika.org/artifacts/nippur-368-clay-tablet#specs (opens new window)

上半分である。 画像はOMNIKAから。もとはサミュエル・ノア・クレーマーの出版物からの転載らしい。

# CBS9800

https://omnika.org/artifacts/cbs-9800-clay-tablet (opens new window)

下半分である。 こちらはCDLIが非常に高解像度の画像 (opens new window)を撮影している。 ただし、かなり状態が悪いせいか発掘以来誰もハンドコピーを描いていないらしい。

# ハンドコピー

NI368は1914年にステファン・ラングドン (opens new window)が、1924年にエドワード・カイエラがそれぞれハンドコピー(Line Art)を出版している。

ラングドンはコラムごとにページをわけて描いている。

カイエラのハンドコピーでは粘土板の外形も描かれているのでわかりやすい。

画像の通りこの粘土板は2段(コラム)に分かれている。

メソポタミアの粘土板のテキストは、左コラムを上から書き始めて、左コラムを下まで書き進めると右コラムに移り、右コラムも下まで書いたら粘土板をひっくり返して、裏面では右コラムを先に書き、最後に裏面の左コラムという順番になっている。

図にするとこうだ。

この粘土板ではコラム1(表左)に33-57行、コラム2(表右)に58-84行と89-113行、コラム3(裏右)に114-167行、コラム4(裏左)に168-211行が書かれている。

私たちが探しているエディン・シュグラは17行目、105行目、130行目にあるわけだけど、ハンドコピーがあるNi368で見つかるのはコラム1の17行目だけのようだ。

すなわちこの箇所である。

ETCSLの翻字を古バビロニア時代風のフォントSantakku (opens new window)を使って楔形文字に変換すると、よく合致する行を見つけることができた。

これを粘土板の写真でも見つけられると面白いのだけど、目をこらしてもよくわからない。

シュグラ・エディンの原典を探す旅はいったんここまで。翻訳→翻字→ハンドコピー→写真と研究者の仕事を逆にたどっていくのは、補助輪つきの解読っていう感じでとても楽しいのでおすすめである。この記事では省略したけど実際にはいろいろ回り道をしていて、その過程で原典をすごく深く知れた気分になる。ほかにもこの行が残っている粘土板はあるようで、それらと比べてみるのも面白いかもしれない。