前の記事でウル・ナナム(イリ・ナナム)を「都市があった」と訳したわけだけど、このあたりの訳の変遷とかについて書く。
まず、エンリルとニンリルの物語を紹介した1944年のサミュエル・ノア・クレーマーの訳。[1]
Behold the "bond of heaven and earth", the city, ... 「天と地の絆」を見よ、この都市を…… Behold Nippur, the city ... ニップル市を見よ、この都市を…… Behold the "kindly wall", the city ... 「優しい壁」を見よ、この都市を……
あれ、なんかだいぶ違うぞ。最初の「天と地の絆」ってなんぞ?
実はクレーマーが読んだ粘土板では第一行目がdur-an-ki uru-na-namで始まっていたらしい。 えっと、たぶん、これかな……?
って読めなーい。
この画像はピンチェスの1919年の論文[3]に掲載されてたもので、翻字と翻訳もあったので翻刻して並べてみよう。楔形文字フォントは Sylvie Vanséveren先生のSantakku (opens new window)がよさそう。
1. 𒄙𒀭𒆠 𒌷𒈾 𒉆 𒀀𒀭𒂉𒊒 𒉈𒂗 𒉈 𒂗 dur-an-ki uru na-nam àm-dúr-ru-dè-en-dè-en 2. 𒀸𒈫𒌷𒋗𒉡𒋗𒉡𒌑𒅆𒁀 ina mina âli-šu-nu šu-nu ú-ši-ba ドゥルアンキに、彼らの都市に、彼らは住んでいる。
3. 𒂗𒆤𒆠 𒌷𒈾 𒉆 𒀀𒀭𒂉𒊒 𒉈𒂗 𒉈 𒂗 Nipurki uru na-nam àm-dúr-ru-dè-en-dè-en 4. 𒀸𒈫𒌷𒋗𒉡𒋗𒉡𒌑𒅆𒁀 mina âli-šu-nu šu-nu ú-ši-ba ニップルに、彼らの都市に、彼らは住んでいる。
5. 𒄙𒄑𒊷 𒌷𒈾 𒉆 𒀀𒀭𒂉𒊒 𒉈𒂗 𒉈 𒂗 Dur-gišgišimmar uru na-nam àm-dúr-ru-dè-en-dè-en 6. 𒈫𒌷𒋗𒉡𒋗𒉡𒌑𒅆𒁀 mina áli-šu-nu šu-nu ú-ši-ba ドゥルギシンマルに、彼らの都市に、彼らは住んでいる。
翻刻(翻字からの楔形文字化)は筆者によるものだから正確じゃないかもしれないけど、見た目はそれっぽい気がする。実はこの粘土板はシュメール語とアッカド語の二言語表記で、1,3,5行目がシュメール語、2,4,6行目がそのアッカド語訳になってる。日本語はアッカド語(のピンチェスによる英訳)からのものだよ。
クレーマーはこれのシュメール語部分を英訳したんだね。クレーマーの本をレビューしたトーキル・ヤコブセン[2]は、クレーマーが「見よ」と訳したna-namについて、"It is/was ... and none other"と訳すべきだとして、最初の行をIn Duranki,in that very city we are living「ドゥルアンキに、かの非常なる都市に、私達は住んでいる」としている。
面白いのがシュメール語で「私達は住んでいる」がアッカド語訳では「彼らは住んでいる」になるところで、ヤコブセンは「このアッカド人の翻訳者--おそらくニップル人ではない--はこれらの行を翻訳するのではなく説明することで、シュメール語の語り手や聴衆から自分自身を切り離している」と評している。
ヤコブセンがウル・ナナムをvery cityと訳したのが定説になったのか、後の本でも同じように訳されている。例えば、バビロンにエ・ウル・ナナムという神殿があったそうなのだけど、アンドリュー・ジョージが1992年に出版した本の中でもこう書かれている。[4]
隣に書いてあるのはこの神殿の別名「パラク・ナブー」を翻訳したもので、ジョージによるとこの古バビロニア時代には神殿には讃歌とか王碑文の中で使われるシュメール語で「○○の家」という形の名前と、手紙や経済文書の中で使われる、アッカド語の日常的な名前があったんだって。
同じ本の中には、バビロンのひとがエ・ウル・ナナムの名前をアッカド語で表現した名前も出てくる。
BM 34850 (Sp II 354) reverse
2' [é ùru.na].nam bītu na-ṣi-ru ši-mat niš[ī (ùg) meš] [5] (e-uru-nanam) ひとびとの運命を守護する家
BM 34927 (Sp II 444) sub-column iii
21 é ùru.na.nam bītu šá man-zazu-š[u nak-lu?] [6] (e-uru-nanam) 礎石が巧みに細工された家
2種類の違った訳し方が残っているわけだけど、ひとつの神殿でも同じ粘土板の中に何種類もの名前の解釈が書かれていたりする[7]。最たる例ではエサギル神殿の綴り違いを20種類も並べてそれぞれにアッカド語の訳をつける粘土板まであったりして、これは完全にそういう芸というか言葉遊びに近い。これほんと面白いので見てみてください。
さておき、エンリルとニンリルの物語はこの半世紀でいろんな遺跡から写本が発掘されたらしい。パスカル・アッティンガー先生によると15種類くらい[^attinger]。ただ、一行目がドゥルアンキから始まるのも、アッカド語の対訳がついてるのも上に挙げた一枚だけみたい。
画像のA/B/C/D/Eっていうのがそれぞれ別の写本で、1行目、2行目、3行目がどの写本でどう書かれてるかを比較してるところ。各粘土板から欠けたところを補って復元したのがrec.って書いてある行だね。ETCSLの本文もだいたいこれに依拠してるはず。
そういうわけで一行目がiriki na-nam iriki na-namから始まるのがオリジナルっぽいということがわかる。これをヤコブセン流に訳せば「非常なる都市に、非常なる都市に」となると思うんだけど、ETCSLでは「There was the city, There was the city」と訳している。
ETCSLによればna-namの語幹はmeで、意味は"to be"、つまりコピュラだということらしい。くっついてるnaはなんだろな……と調べてたらETCSLにも関わっているGábor Zólyomi先生[8]のシュメール語文法書(p109) (opens new window)で答えをみつけた[9]。
えーと、nanamはCOP-3.SG.S、つまりコピュラで三人称で単数で絶対格っていうことみたい。それでシンプルに「イリ・ナナム」で「都市があった」と訳せるっぽい?
というわけで、FGOに出てきた「都市があった、都市があった」っていうのは比較的最近の研究にも沿った正しい翻訳といえるわけです。すばらしい。
Kramer, Samuel Noah. Sumerian Mythology: A Study of Spiritual and Literary Achievement in the Third Millennium B.C., 1944. p43
Jacobsen, Thorkild. “Sumerian Mythology: A Review Article.” Journal of Near Eastern Studies, vol. 5, no. 2, 1946, pp. 128–152. https://www.jstor.org/stable/542374 (opens new window).
Pinches, Theophilus G. “The Legend of the Divine Lovers: Enlil and Ninlil.” Journal of the Royal Asiatic Society of Great Britain and Ireland, 1919, pp. 185–205. JSTOR, https://www.jstor.org/stable/25209484 (opens new window).
George, A. R. Babylonian Topographical Texts. Leuven: Departement Oriëntalistiek, 1992. p60-61
George, A. R. Babylonian Topographical Texts. Leuven: Departement Oriëntalistiek, 1992. p76-77
George, A. R. Babylonian Topographical Texts. Leuven: Departement Oriëntalistiek, 1992. p78-79
George, A. R. Babylonian Topographical Texts. Leuven: Departement Oriëntalistiek, 1992. p80-81
オリエント学には名前の発音がわからない先生がたくさんいるんだけどこの方もぜんぜんわからない。ガボール・ソリョミ?
2017年発行のかなり新しいシュメール語文法書で、一冊まるごとacademia.eduとかいろんなところで公開されてます。 Zólyomi, Gábor, Szilvia Jáka-Sövegjártó, and Melinda Hagymássy. An Introduction to the Grammar of Sumerian. 2017.